バリ人を愛した日本人 前半

最後までバリ人の夫(ケトット)を愛し、最後までバリ島にこだわり、最後は子宮ガンに勝てず、63歳であの世へ逝ってしまったひろみさん。そのひろみさんの私が知る限りの生き様を書き残しておこうと思う。

私の主人(アルタ)の弟(ケトット)がひろみさんの旦那さん。私とひろみさんは親戚の関係になった。すでにひろみさんは25年くらいバリ島で生活をしており、すっかりバリ人のような人でした。お供え物作りや村行事など一人でこなせるほど、日本人とは思えないほど馴染んでいたひろみさん。

インドネシアは一夫多妻

ケトットは背も高く、いわゆるイケメンさん。女性はもちろん男性からも人気があった。そんなケトットは4人の奥さんがいた。1番目の奥さんSはバリ人で2人の子供がいる。2番目がひろみさんで子供なし。3番目はジャワ人のKで1人子供がいる。4番目もジャワ人のTで1人子供がいる。

ひろみさんは当時ヌサドゥアに2階建ての大きな家を建て、そこで暮らしていたがケットトはほとんど家に帰らず飲み歩くことが多い為、いつも一人寂しい思いをしていた。ひろみさんが40代の時に子宮の病気をし、ケトットとの子供は諦めていた。

ひろみさんはケトットの為にレンタカー屋を始めたが、酔って運転し交通事故を起こしお店は倒産。次に飲み屋をOPENさせても火の車で売りに出す始末。結局ヌサドゥアの家も二束三文で売り、サヌールの実家で暮らすようになる。

ちょうどその時3番目の奥さんKが子供を連れてバリ島の西の方へ逃げて行ってしまった。ケットトの家族が子供を取り返しに西まで行ったのだ。まだ小さい男の子を取り返し、ひろみさんが引き取ることになった。その子の名前はアグス。

*バリ島では男の子は男性が引き取るのが普通。男の子は大事な跡取り。女性に権限はない。

ひろみさんはアグスを本当の子の様に一生懸命育てた。サヌールの実家には1番目の奥さんSが生活していた。当然奥さんSとひろみさんはぶつかり合う。ヌサドゥアの家を売ったお金で実家の家を修理し、部屋を増やすもひろみさんに与えられた部屋は6条一間ほどの小さな窓しかない、ジメジメした部屋のみだった。トイレ、台所は共同使用。そんな小さな部屋でアグスとの生活が始まった。毎日のように言い争いをする奥さんSとひろみさん。

そしてケトットは相変わらず、どちらの家にも帰ってこず遊び歩く。。。

そんなある日、ケトットは病気になってしまい二度と帰らぬ人となってしまった。

それでもひろみさんはアグスを育てるため働きながら実家での生活を続けた。

そんなひろみさんと私は、家族になったとは言えすぐに交流をするようなことはなかった。きっとひろみさんは私からこの新しい環境へ馴染もうとしてくるのを待っていたんだと思う。ひろみさんから声をかけてくることはなかった。

ある日、私からお供え物の事を教えてほしいと連絡したのがきっかけで、そこから交流が深まっていった。

お供え物を作るひろみさん

交流が深まるうちに今までの生活状況を話してくれるようになった。その内容には一切人の文句、愚痴、噂話などはなく、淡々と歩んできた道を話してくれた。私はちょっと聞いてみた。

そんな大変な思いまでして、なぜバリにこだわるんですか?

こだわるというか。。。覚悟を決めた。。というのかなぁ。ケトットを愛しちゃったから。。。

当時ケトットとの結婚は日本の家族は反対でね、それを押し切ってでてきたのよ。だから日本に帰る場所もないし。バリには私の唯一の家族、アグスがいるから。

私は何も言えませんでした。

素敵だよ!ひろみさん

ひろみさんは今、実家のお寺に入っています。いつもひろみさんを思い出し、話しかけ、手を合わせています。

コメントを残す