毎日付き添えるようになって1週間くらいたった頃かなぁ。担当医が私を廊下に呼んだ。
「お母さん大分弱ってきてしまったね。今日ご家族の方々を呼んだ方が良いと思います」と言われた。
私は声を震わせながら、まだ会社にいるじーに電話をした。じーから岩手県にいる親戚へ連絡してもらいみんなを集めた。
夕方、岩手県から新幹線に乗って親戚たちが病室へ来てくれた。きのみのお姉さん、さちおばさん、カメおじさん、けんえいおじさん。。。新幹線代高いのにね。ありがとう。
みんなが来てくれた事が分かったんだろうな、かぁ~ちゃん。顔が安心した顔に少し変わった。私は何度もかぁ~ちゃんの心臓に耳を当てた。鼓動は弱いがまだ動いていた。その音がいつまでも消えないでと願った。けど。。。
その夜、みんなに看取られてかぁ~ちゃんはあの世へ逝ってしまいました。
その日はちょうど弟の誕生日でもあった。なんでこんな日に。。。
おばさん達はかぁ~ちゃんと何一つ言葉を交わすとこが出来ず、とても悔やんでいた。
じーは泣き崩れることもなく、ジッと立ったまま下を向いたままだった。じーはこれからやってくる恐ろしいほどの忙しさを見据えていたのかもしれない。その現実がすぐにやってきた。
深い悲しみの中にいる私たちの後ろから「この度はお悔やみ申し上げます。私、葬儀会社の〇〇です」と言う声が聞こえた。じーはその葬儀会社の人と廊下で打ち合わせをしていた。病院側と葬儀会社ってつながっているんだな。これもビジネスってやつなんだな・・気分は良いもんじゃないよね・・
そしてその夜、かぁ~ちゃんの遺体は解剖室へと運ばれた。かぁ~ちゃんは生前、自分の身体はこの大学病院の実験材料や練習人体に提供します、と言う書類に自らサインをしていたからだ。もちろんじーも知っていた事。それが長年働いて来たこの病院へのかぁ~ちゃんからの贈り物なのか、恩返しなのか。。。かぁ~ちゃんにしか分からない。いや、じーは心の内を聞いていたに違いない。でも私と弟は知らなかった。
待合室で家族みんなとかぁ~ちゃんの身体の戻りを待った。待合室前には病院の同僚たちがかぁ~ちゃんを見送るために立っていた。いい職場だったんだなぁと感じた。ありがとう。
かぁ~ちゃんの遺体が戻ってきた。白いシーツをかぶされて顔だけしか見えない。顔はもう白かった。だれかが身体にかぶしてあるシーツをめくったのか、風がめくらせたのかは分からないが、かぁ~ちゃんの身体が見えた。お腹の辺りに紫色のペンで線が数本書かれていた。切った個所だと思う。いたたまれない。。。マネキンの様になってしまったかぁ~ちゃん。
その夜は家族みんな、待合室で過ごした。遺影の後ろにはかぁ~ちゃんの身体が寝ていた。待合室は畳が敷かれ、みんなそこで雑魚寝をしていたが、私は眠れず、遺影の前で朝まで泣いた。
朝になり、かぁ~ちゃんの遺体を乗せた車と私たちは家へ戻った。家にはご近所人、友人関係がたくさん来ていて、みんなエプロンをつけてお料理をしてくれたり、色々と準備をしに来てくれていた。家の中は人で溢れかえっていた。ビックリした。じーが段取りをしていたんだろう。
みんな私たちをとても気づかい、先に休ませてもらうことにした。親戚のおばさんたちは近くのホテルへ宿泊した。
何時頃ろう。起きた時には誰もおらず、私とじーと弟の3人だけになっていた。私はホッとした。これで4人家族だけの時間だと。。かぁ~ちゃんはお仏壇が置いてあるお部屋に普通に寝ているみたいに横になっていた。顔は安どに満ちているように見えた。やっと家に帰ってこれたね。やっと家族だけになれたね。そしてかぁ~ちゃんを囲んで3人で泣いた。じーが大声を出して泣いたのは後にも先にもこの時だけだった。
じーは冷たくなったかぁ~ちゃんの頬にキスをした。
私は青くなったかぁ~ちゃんの唇に口紅を塗った。
弟は固くなったかぁ~ちゃんの頭を優しくなでた。
可愛がっていた猫はかぁ〜ちゃんの足元から離れずずっと側にいた。
この時だろう。。私たち3人+猫がかぁ~ちゃんが本当にあの世に逝ってしまったんだと実感したのは。
次の日の朝から、悲しんでいる暇もないほど忙しい日々が始まった。。。
ってか葬儀会社の人が来るのすっごい早くてビビった。スタンバってた感メッチャある。病院と葬儀会社の連携プレイだわぁ😑