バリ人を愛した日本人 後半

私はバリ家族と出会い、その中に日本人のひろみさんがいたことを書き残しておきたい。

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ひろみさんは日本の家を売り、そのお金でバリに家を建てた。私の家の近くだ。完成をとても楽しみにしていた。

そんなひろみさんに残酷にも子宮に悪性のガンがあると検査結果がでてしまった。

ひろみさんはガン治療をしながら家の完成を急いだ。アグスの為にもこの家を残したい一心だった。

医者からはガンを取り除く手術を急いだほうがいいと言われた。しかしひろみさんは手術を選ばず、東洋の治療法を選んだ。私はなぜそれを選んだのか興味があったから聞いてみた。答えはこうだった。。。

手術には膨大な費用がかかる。そんなお金はない。それと入院したら私の世話をしてくれる人なんていない。それにアグスに誰がご飯をあげるの。私は東洋医学を信じる。これで私は治す!でもまだ迷いはある。あなたならどうする?

正直その立場になってみないと分かりませんが、私も東洋をとると思います。自分の母の痛々しい姿を思うと自然療法を選びたいです。

そしてひろみさんは整体療法へ通い、食事療法も合わせて進めていった。みるみるうちに痩せ細り小さくなっていった。

整体治療をしているひろみさん

どんどん体力も落ち、次第に自力では歩けなくなっていった。そんなある日実家で祭事が行われる日が来た。バリヒンドゥーの決まりで病人は(妊婦も含む)参加してはいけない為、祭事中は我が家にいてもらうことにした。ベットに横になり我が家を見回しながらこう言った。

「あぁぁ~早く私も自分の家に住みたい。やっぱり静かでいいわね~」

そういって眠り始めた。そのひろみさんが寝ていた私のベットはオムツからわき出たオシッコでびしょびしょだった。それに気が付かないほどしんどいんだなと分かった。オシッコもさほど臭くなかった。あまり食べていないからかもしれない。

たくさん家族がいる実家戻ってもずっと寝たきりになってしまったひろみさん。ベットはすでにオシッコ臭く、そのベットの下でアグスが寝ている。部屋もゴミだらけ換気もできない。

本当にこれでいいのだろうか。。

あの犬猿の仲だった一番目の奥さんSだけが世話をしてくれていた。オムツ交換や食事を食べさせるなど全部Sがやっていた。私はその姿を今でも忘れない。大嫌いな人に対してなぜここまでしてあげられるのだろう。。。すごいと思った。

ある日の夕方私は様子を見にひろみさんの所へ行った。あまりにも辛そうだった。これでは死んでしまうと思った。「ひろみさん、病院へ行きましょう。私が車で連れて行きます」と声をかけると「お願い。。」と小さな声で答えた。

アルタに抱えてもらい車に乗せ病院へと急いだ。即入院だった。

検査の結果、腫瘍は15cmほどの大きさにまでなりどうすることもできなかった。栄養剤の点滴を入れる事しか。。。

それから毎日奥さんSが病室に寝泊まりし、看病した。それから3日後、夜中ひろみさんは寝言で「パパ」と言っていた。迎えに来たのかなぁ。そして次の日。。ベットで眠ているひろみさんを見て、息をしていないように見えた。私は大きな声で呼びかけても反応なし。首の脈もふれない。。。すでに息を引き取っていた。あまりにも静かに逝ってしまった。

その夜、ご遺体は実家に戻り葬式の準備が夜中まで行われた。夜なのに村中の人がたくさん、本当にたくさん手伝いに来てくれた。

村中の人に担がれて行くひろみさん。

ひろみさんへ。

長いことお疲れさまでした。楽になりましたか?私はもっとひろみさんから学びたかった。同じ日本人が家族にいるなんて珍しいし、心強かったのに。。早いよなぁ逝っちゃうの。あの後、ひろみさんの家はオギ(奥さんSの長男)が銀行からお金を借りて完成させたよ。アグスが大きくなったら住むよ。だからもうゆっくりしてね。私ね、ひろみさんの日本にいるお兄さんに連絡したよ。ひろみさんはしなくていいって言ったけど。だってひろみさんのパスポートの裏に連絡先書いてあったから。お兄さんね「私の妹の為に色々してくださりありがとうございます。ですがもう連絡して来ないでください」って言われちゃった。ひろみさんの言ってた通りだった。これも覚悟してたんだね、ひろみさん。またいつか会って話しますね、ひろみさん。ありがとうございました。

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